42系 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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クモハ42001 - 42013 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
No.119-26 1986年3月15日 小野田線 雀田 クモハ42006 1986年春の九州行きの途中に立ち寄った本山支線,雀田駅にてパンタを上げて昼寝から醒め,午後の仕業準備に入るクモハ42006。パンタが前に付いている方が1エンド側,平妻,幌枠のみ設置されています。後にオリジナルのぶどう色単色に戻されましたが,この時代は残念なことにどぎつい警戒色が塗られていました。 (2023/03/14ワイド化) |
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No.119-25 1986年3月15日 小野田線 雀田 クモハ42006 |
リベットの美しいシルと本山線のサボ,由緒あるナンバー。クモハ42006はモハ42として1933年川崎車輌が製造,京阪神間の急行電車で活躍しました。1950年,横須賀線を経て,1956年8月22日に更新改造を受けています。42006は42001,42005とともに宇部で使用され,42001は2003年3月14日に旧型国電としての最期をこの地で迎えました。42006はこれより前,2001年1月30日に廃車となりました。 (2023/03/14ワイド化) |
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No.119-35 1986年3月15日 小野田線 長門本山−浜河内 クモハ42006 小雨降る中85ミリレンズで走行を捉えました。何往復か場所を変え撮影しましたが露出なくブレてしまい,まともなのはこの1枚だけでした。ツリカケモータの音が郷愁を誘います。 (2023/03/14ワイド化) |
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No.120-7 1986年3月15日 小野田線 雀田 クモハ42006 |
夕闇迫るころひとりホームに佇む古豪の姿。モハ42形の側面窓配置はd1D2 12 2D1dとなっており,42006の第2エンド側には幌が付いています。後ろの電話BOX周辺では地元のヤンキーがたむろしてましたが,アンちゃんたち元気にしてるかな? (2023/03/14ワイド化) |
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No.120-9 1986年3月15日 小野田線 雀田 クモハ42006 |
バルブにはちょっと中途半端な時間で,空が白くなってしまいました。 (2023/03/14ワイド化) |
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No.120-10 1986年3月15日 小野田線 雀田 クモハ42006 |
1エンド側。20m2扉クロスシート車といえば国電最高グレード。京阪神用モハ42として誕生し,電化完成時から方向別複々線区間を疾駆した遠い昔を感じられるサイドビューとニス塗りの素敵な車内。 (2023/03/14ワイド化) |
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クモハ43015 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
No.N8212-17 1982年11月20日 11:48 左 クハ68414 (40系) +クモハ43015 (42系) 238M 飯田線 天竜峡→千代 |
景勝地をゆく旧国2両。半流クハ68414+クモハ43015。右側のモハ43はモハ42の片運転台バージョン,42系を代表する形式で,側面窓配置は運転台側からd1D2
12 2D2となっています。モハ43015は1933年梅鉢鐵工所製,なお梅鉢鐵工所は1936年に梅鉢車輌,1941年に帝国車両工業に改称されました。 (2023/03/16 本ページに追加) |
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No.N8212-20 1982年11月20日 13:05 クモハ43015 (42系)- クハ68414 (40系) 253M 飯田線 千代→天竜峡 紅葉の天竜峡をゆく2両を追い写し,上の写真の238Mが平岡まで行って戻ってきたもの。この列車は天竜峡止まりで夜まで側線にいました。このクモハ43015はオリジナルモハ43のまま最後まで残った1両でした。 (2023/03/16 本ページに追加) |
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No.N8213-2A 1982年11月20日 20:20 左 クモハ43015 (42系)- クハ68414 (40系) 飯田線 天竜峡 |
夜の天竜峡の側線で仕業に入るのを待つ旧型国電4両編成。辰野方は昼間撮影したクモハ43015+クハ68414でした。左に連結されているのは合いの子流電のクモハ53008。 (2023/03/15 本ページに追加) |
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クハ68403 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
No.N8212-11 1982年11月20日 8:43 クハ68403 (42系) 飯田線 伊那松島機関区 (許可を得て撮影) |
検査で松島区に入場している編成。手前は42系クロハ59005を2等廃止によりモノクラス化の上,3扉セミクロスシートに改造されたクハ68025で,戦時中にロングシート化されクハ55139になり,戦後セミクロスシートに復元,クハ68003となりました。飯田線運用のため1974年にトイレ取り付け改造を行ってクハ68403に変更されています。側面窓配置はd1D25D32D2となっており,中央の客用扉より後位側に旧2等車の窓割りが残っています。 (2023/03/15 本ページに追加) |
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2007年10月23日 ページ新設 2023年3月14日 キャプション欄左右入替完了 2023年3月14日 写真ワイド化完了 2023年3月14日 ページの対象範囲をクモハ42から42系に全体に拡張し42系一覧表を追加 2023年3月15日 クモハ43001-43037,クハ68001-68023の写真を追加 2023年3月17日 Safariで半角数字列が電話番号リンクされるのを無効化 ■参考文献 沢柳健一 旧型国電50年(T)(U) JTBキャンブックス Wikipedia 国鉄42系電車 |