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80系
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 80系は国鉄が1949年に開発した長距離列車用電車です。当時の電車は近郊用であり,長距離列車にはもっぱら機関車が牽引する客車列車が使用されていました。しかし東海道本線は1934年に丹那トンネルが開通し,1935年4月に千葉まで電車運転が開始され,次に東京‐沼津間の電車化が計画されました。しかしその後太平洋戦争に突入したため実現は戦後となり,占領軍総司令部民間運輸局(CTS)を説得しながら開発されました。80系はこうして1949年度から製造されました。80系の室内は客車並の構造とし,混雑緩和のため出入口付近に1,000mm程度のロングシートを設けています。また,基本編成10両,付属編成5両で計画され,長大編成に好適な中間電動車を初めて採用しました。さらに国鉄も私鉄も車両の塗色はぶどう色かダークグリーン1色と相場が決まっていた時代に,オレンジとグリーンの2色塗分けで登場し,戦後に明るい希望をもたらしました。
■ 新製車
形式 番号 製造年度 主な仕様と変更点
モハ80 モハ80001‐80117 1949‐1955 基本番台,3等中間電動車,PS13パンタグラフ,MT40形主電動機,吊り掛け駆動,歯車比2.56,主制御装置,電動発電機(MG), 空気圧縮機(CP)搭載,トイレ無し,側窓幅1,000mm,側窓間400mm,定員92名
モハ80200‐80256 1956‐1957 200番台,モハ80206以降は耐寒設計,座席間隔・座席幅拡大で定員88名に減,側窓幅955mm,側窓間525mm,側窓枠のアルミ合金化,屋根布を雨樋直上から張る構造に変更,屋上通風器を大形の箱形に変更,但し1957年度車は小形通風器千鳥配置に再変更
モハ80300‐80425 1957‐1958 300番台,1958/4/10の山陽本線姫路電化に合わせ製造,10系に準じたセミ・モノコック軽量構造車体,ウィンドウシル・ヘッダー廃止,窓大型化,側窓幅1,110mm,側窓間370mm,客用扉下部のプレス加工廃止しフラット化,内装全金属化,当初から蛍光灯照明設置,定員88名
モユニ81 モユニ81001‐81006 1950 湘南電車併結のため誕生した両運の郵便荷物合造電動車,パンタグラフ2基搭載,大井工場製, 001は車内天井版無し,通風器は003, 004が押込兼吸出形,他は千鳥配列,台車DT16
サロ85 サロ85001‐85029 1949‐1952 2等付随車,定員64名,戸扉幅700mm,窓幅1,200mm,窓間765mm,戸袋窓なし
サロ85030‐85035 1956‐1957 バランサー付き一段下降窓に変更窓幅1185mm,窓間775mm
サロ85300‐311 1957 300番台,車体仕様はモハ80300番台と同様窓幅1185mm,窓間725mm,東海道準急運用を考慮し専務車掌室,車販準備室を設置,定員60名に減
クハ86 クハ86001‐86020 1949 基本番台1次車,トイレ付3等車,半流非貫通3枚窓,定員79名
クハ86021‐86080
86082, 86084
1950‐1955 基本番台2次車,正面2枚窓,定員79名
クハ86100‐86142 1956‐1957 100番台,車体仕様はモハ80200番台と同様,定員76名
クハ86300‐86373
86375
1957‐1958 300番台,車体仕様はモハ80300番台と同様,定員76名
サハ87 サハ87001‐87047 1949‐1952 基本番台,3等付随車,定員89名
サハ87100‐87119 1956‐1957 100番台,車体仕様はモハ80200番台と同様,定員84名
サハ87300‐87331 1957‐1958 300番台,車体仕様はモハ80300番台と同様,定員84名
1959年称号規程改正によりモユニ81クモユニ81に変更
■ 改造車 (80系種車・撮影分のみ)
改造後形式番号 種車形式番号 改造年 改造・改番内容
クハ85100‐85111 サハ87100 101 103 107 303 323 304 302 316 317 306 307 1973‐1975 サハ87100番台, 87300番台を種車として長野工場で先頭車改造, 前位側に切妻構造の高運転台を取付け, 前位客用扉を移設, 定員76名, クハ85100, 8510685111は前面窓位置が若干低い
クモニ83101‐83103 クモユニ81004‐81006 1963 飯田線での運用のため豊橋機関区に転属したクモユニ81形3両を種車とし郵便室を廃止,荷物室に振替え,浜松工場で施工
クハ86001
No.D700_120103‐247
2012年1月3日
クハ86001
交通科学博物館

80系の初期の姿,クハ86の最初の20両である86001‐86020がこの顔で登場しました。この後に誕生した湘南形2枚窓マスクと比較するとシル・ヘッダーが正面に回り込んでおり,かなり重たい印象を受けますが,電車と言えばぶどう色かダークグリーンであった戦後の1949年にこのツートンカラーは画期的でした。
(2023/03/22ワイド化)
No.D700_120103‐248
2012年1月3日
クハ86001
交通科学博物館
交科では京都駅の大屋根を移設し,その中に保存してありました。
(2023/03/22ワイド化)
No.D700_170505‐271
2017年5月5日
クハ86001
京都鉄道博物館



京都に引越ししてきたクハ86001。再塗装され新車の輝きを放っています。
(2017/05/20追加)
No.D700_170505‐272
2017年5月5日
クハ86001
京都鉄道博物館
湘南色の塗装が美しい。
(2017/05/20追加)
No.D700_180502‐074
2018年5月2日
クハ86001
京都鉄道博物館



人の少ない平日に出向いて撮り直しです。
(2018/05/12追加)
No.D700_180502‐077
2018年5月2日
クハ86001
京都鉄道博物館
前照灯が大きく張り出しており,後期の2枚窓タイプとはまた大きく異なった古典的な顔をしています。
(2018/05/12追加)
モハ80001
No.D700_180502‐078
2018年5月2日
モハ80001
京都鉄道博物館
今日の電車の隆盛を語る上で欠かせないエポックといえる,最古の中間電動車モハ80001の横顔。基本番台車の客室窓は旧型客車と差がありません。
(2018/05/12追加)
No.D700_180502‐233
2018年5月2日
モハ80001
京都鉄道博物館
モハ80001。シル,ヘッダー付きの一枚窓となっており,旧型客車に似ていますが自動扉です。この客室扉も制作年代ごとに桟が減り,徐々にすっきりした構造に進化していきました。
(2018/05/12追加)
クハ86300番台
No.N8212‐24
1982年11月20日 13:57
80系 4B
257M
飯田線 天竜峡←千代
4連で登場した80系が紅葉のトンネルに吸い込まれていきました。80系の先頭車クハ86は1950年度製の基本番台2次車から2枚窓に変更されました。この顔は湘南スタイルとして70系,EF58,東武キハ2000形,などさまざまな車両に影響を及ぼしました。クハ86では1951年度製から正面2枚窓のHゴム支持化され86300番台まで受け継がれました。
(2018/09/22 ワイド化)
No.N8213‐3A
1982年11月20日 20:40
クハ86300番台 4B
248M
飯田線 天竜峡
夜の天竜峡に到着した248Mは80系4両,湘南色のツートンは華やかさがあります。
(2018/09/22 ワイド化 2023/03/22シャドー調整)
No.N8213‐4A
1982年11月20日 20:43
クハ86319 4B
248M
飯田線 天竜峡
上と同じ編成の奇数(上り)向き,しっかり絞ってバルブ撮影。サボを変えるため線路側の扉も開かれています。
(2018/09/22 ワイド化 2023/03/22シャドー調整)
No.N8213‐7A
1982年11月21日 6:36
クハ86306
239M
飯田線 温田
温田にて,平岡発上諏訪行きの普通列車239Mと交換。駅員が運転士に通票キャリアを受け渡ししています。この列車,平岡6:24に出て上諏訪に10:31に到着するダイヤでした。クハ86300番台はそれまでの86100番台と異なり10系客車に準じたセミ・モノコック構造の全金属車体を採用,ウィンドウシル/ヘッダーを無くし窓が大型化しサイドビューがすっきりしました。内装も完全金属化され,当初から蛍光灯照明となり一気に近代化が進みました。
(2023/03/29 本ページに追加)
No.N8213‐20A
1982年11月21日 10:53
クハ86300番台
631M
飯田線 湯谷→三河槙原
貨物の後からやってきたのは80系4両編成の631M。豊橋9:40発,11:42中部天竜着のダイヤでした。
(2023/03/29 本ページに追加)
No.N8213‐31A
1982年11月21日 12:56
クハ86300番台
633M
飯田線 湯谷→三河槙原
下り80系中部天竜行き各停,望遠200mmで撮影。
(2023/03/22ワイド化)
No.N8214‐3
1982年11月21日 14:28
クハ86300番台 6B
9632M 快速 奥三河
飯田線 三河槙原←柿平
槙原のお立ち台から撮影。80系4+2の6連で快走
(2023/03/22シャドー調整)
No.N8214‐9
1982年11月21日 16:45
左 クハ86309 4B 839M
右 クハユニ56003 4B1226M
飯田線 豊橋
左のクハ86はおでこの塗装の亀裂と運行番号表示窓左上の塗装の剥げ方からクハ86309と特定できました。
(2023/03/13ワイド化)
クハ85100番台
No.N8213‐14A
1982年11月21日 8:30
左 クハ85108 4B 638M
右 クハ68409 2B 625M
飯田線 三河槙原
スカ色のクハ68と並ぶクハ85。飯田線には85104と85108がいましたが,運転席窓の高さが若干低いことからクハ85108であることが判明しました。前照灯下の手摺から正面窓の間隔を見ると区別できます。
(2023/03/13ワイド化)
No.N8213‐27A
1982年11月21日 11:19
クハ85104 4B
1224M
飯田線 湯谷←三河槙原
飯田線では2両のクハ85100が83年まで活躍しました。クハ85104を最後尾にした1224Mが川沿いをゆく。
(2023/03/29 本ページに追加)
No.N8214‐13
1982年11月21日 16:45
クハ68410 4B 回1226M
クハ85108 4B 839M
飯田線 豊橋
クハ68とクハ85。右側,17:15発の641Mが入線。この80系4連の編成はこの日の638Mと同じ,クハ85108を含む4両編成でした。
(2015/03/19追加 2023/03/22シャドー調整)
クモニ83100番台
No.N8212‐14
1982年11月20日 10:25
クモニ83103
1221M
飯田線 飯田


クモニ83100番台は飯田線の荷物車不足を補うためクモユニ81形の郵便室を撤去し,クモニ83形100番台とした改造車で,1969年に浜松工場で3両が改造され在籍していました。[57‐5 浜松工]と記載された表記が標識灯のすぐ右脇にあるのが83101と83102であり,一方この表記がタイフォン側に寄っているのが83103,という違いがありました。したがってこの写真はクモニ83103だとわかります。なお2両目の車両はクハユニ56っぽいです。
(2023/04/05 郵便・荷物車のページから移設)
No.N8212‐37
1982年11月20日 19:50
左 クモニ83101 1227M
右 クモニ83103 1232M
飯田線 天竜峡
乗務員が降りたのを見計らってスピードライトを焚いてなんとか撮影。右側は昼間に飯田で交換したクモニ83103,左は83101です。
(2023/04/05 郵便・荷物車のページから移設)

 2012年10月6日 飯田線旧型国電からページ分離
 2023年3月13日 キャプション欄左右入替完了
 2023年3月22日 写真ワイド化完了
 2023年3月29日 新製車一覧表を追加
 2023年3月29日 改造車表(撮影分のみ)を追加
 2023年3月29日 新製車一覧表および改造車表から写真へのリンクを設置
 2023年3月29日 Safariで半角数字列が電話番号リンクされるのを無効化
 2023年4月5日 クモニ83100番台につき郵便・荷物車ページの写真を削除し本ページに移設


■参考文献
 沢柳健一 旧型国電50年(U) JTBキャンブックス
 手塚一之,浦原利穂 半流43系姉妹の一代記  鉄道ファン 1998年10月号‐11月号 交友社
 手塚一之 流電52系姉妹の一代記  鉄道ファン 1999年9月号‐2000年1月号 交友社
 浦原利穂 関西ファンの記録から 鉄道ファン 1999年9月号,10月号 交友社


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