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D51‐25 | |||||||||||||
No.264-24 1992年4月27日 D51‐ 25 北海道勇払郡鵡川町 |
サハリンから里帰りしたD51‐25号機。戦後,1949年にソビエト連邦への輸出として30両が製造され,1067mm軌間であるサハリン州鉄道(樺太)で活躍しました。この25号機は汽車製造により製造された5両のうちの1両で,D51‐1,2,23,25,26,27号機が1990年に日本戻ってきました。 | ||||||||||||
No.264-16 1992年4月27日 D51‐ 25 北海道勇払郡鵡川町 |
テンダー側から非公式側 | ||||||||||||
No.264-17 1992年4月27日 D51‐ 25 北海道勇払郡鵡川町 ナンバーは日本国内仕様と異なりハイフンが入っています。 |
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No.264-18 1992年4月27日 D51‐ 25 北海道勇払郡鵡川町 |
美しく整備されています。 | ||||||||||||
No.264-19 1992年4月27日 D51‐ 25 北海道勇払郡鵡川町 |
公式側面。先輪,動輪,モーションプレート,従輪イコライザーに朱が塗られているのが目立ちます。 | ||||||||||||
No.264-20 1992年4月27日 D51‐ 25 北海道勇払郡鵡川町 |
寒冷地のため密閉キャブとなっています。ところでこの機関車,ナンバープレートとドームに貼られているメーカーズプレートの内容が整合していません。 | ||||||||||||
No.264-21 1992年4月27日 D51‐ 25 北海道勇払郡鵡川町 |
ドームのメーカー銘板には MITSUBISHI MIHARASHARYO 1949 MACHINE No.665 と記載されています。D51‐25号機は汽車製造・製造番号2580で,三菱重工の製造番号665はのD51‐26です。したがってナンバープレートとメーカー銘板のいずれかが,一緒に保存されている機体と入れ替わった可能性が高いです。本稿ではナンバープレートにしたがってD51‐25号機としておきます。 |
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No.264-22 1992年4月27日 D51‐ 25 北海道勇払郡鵡川町 |
動輪,クロスヘッド,モーションプレート部の拡大 | ||||||||||||
No.264-25 1992年4月27日 D51‐ 25 北海道勇払郡鵡川町 正面。煙室扉の密閉性を高めるためなのか,周囲から金具が一杯出ており国内のD51よりいかつく見えます。 |
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No.264-26 1992年4月27日 D51‐ 25 北海道勇払郡鵡川町 |
特徴のある大型前照灯,ナンバープレート,煙室扉ハンドル。 | ||||||||||||
No.264-27 1992年4月27日 D51‐ 25 北海道勇払郡鵡川町 |
非公式側,テンダー | ||||||||||||
No.264-30 1992年4月27日 D51‐ 25 北海道勇払郡鵡川町 |
順光でテンダー側から撮影したD51‐25号機。2007年ごろ解体されてしまったようです。 | ||||||||||||
D51‐26 | |||||||||||||
No.264-28 1992年4月27日 D51‐ 26 北海道勇払郡鵡川町 |
D51‐25号機に隣接して保存してあるD51‐26号機。ナンバープレートやメーカーズプレートなどがなくこれだけだと何号機が不明です。かなり荒れています。 | ||||||||||||
No.264-29 1992年4月27日 D51‐ 26 北海道勇払郡鵡川町 |
残念ながらこのD51‐26号機もD51‐25号機とともに解体されたようです。 | ||||||||||||
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2024年9月6日 ページ作成開始 2024年9月7日 ページ新設 ■参考文献 Wikipedia 国鉄D51形蒸気機関車 |